1年前、維新政治について考察しているときにとても不思議に思ったのは、日本人の国家との距離の近さと国家への無関心の両立でした。国が決めてしまったら唯々諾々としたがってなんら疑問を挟まない人々、しかし不満があっても抗議行動しない人々、投票にさえ行こうとしない人々。ある意味で人間として日本人は結構不気味な存在なのかもしれないとはっきり思うようになったのは、10年間の中国での生活を終えて日本に戻ってきた時でした。
日本では国の体制と個人の生活の距離はあまり意識されることがないまま、気がつけば国家が個人の生活に直接手を突っ込んできて、なんだかわからないままに万歳万歳で戦争に駆り出され、国破れて山河ありの状態になるのでは、と危惧しています。他方、中国では国家と個人の生活はどういう関係にあるのか、を考察したいと思います。中国の国家権力によって追われる人のことがクローズアップされて伝えられますが、それ以外の人々はどのように暮らしているのでしょうか。
私は2001年5月から2011年9月まで中国(3カ月だけ上海であとは大連)に暮らし、中国の家庭で家族の一員として暮らしたことから、ある程度中国人の本音に近いところにいました。彼らはまず疑います。彼ら曰く「共産党だけなのだから政府を疑うのは当然」というスタンスです。すなわち国家が監視しているのと同様に国家を人々は監視。政府と国民はある意味綱引き状態、と言えば言いすぎでしょうか。上に政策あれば下に対策あり、で裏で人々が進める巧妙な対抗手段に呆れもしました。
第二に政治が娯楽であることです。日常的な会話で政治が話題になるのは当たり前で、それをネタに笑い話ができます。私が滞在していた時、政府委員の黄菊が在職中に病気で亡くなりましたが、江沢民と親しかった黄菊は腐敗の噂もあり、人々は「彼は死刑を免れて助かったんだ」と評していました。大きな会議が開かれると、誰がどこに座るかを見て、政治序列を知り、あれこれ揶揄しながら今後の政治の動向を占っていきます。こういうわけで私も否応なく政治家や政治に詳しくなりました。4年間同じ顔触れですから覚えやすいともいえますが。
習近平と李克強が出てきたときはすぐにこの二人が次の世代の中心的な政治家であることが話題になり、習近平が上海中心の閥をバックに持ち、李克強が胡錦涛の共青をバックに持っていることが即座に話題になりました。人々は党内闘争がどれほど激しいかを語りますが、三国志が生活に根付いているお国ぶりが知れて可笑しくなりました。
中国を離れてすでに13年が経ちました。人々の生活の様相はすっかり変わっていると思います。向こうで暮らした10年間だけでも変化は激しいものでしたから。例えば、ワイン・オリーブ油・おしゃれ着洗剤等、なかったものが、あれよあれよとあふれるように商店で売られ、我先に窓口に殺到していた銀行は、受付機で発行された番号が電光掲示板で示されて窓口に行くシステムになり、通信費の支払いも行列は消え窓口でキーボードをたたく若い連中がさっさと処理していく、といった風でした。
現在、中国の国家は日本の失敗から多くを学んでいるように思えます。少子高齢化もしっかり観察して方法を模索中のようです。日本の国家は学ぶべき対象を見出せなくて四苦八苦しているのがありありです。政治家の質が低いことが国民の何よりの不幸かもしれない、とも思うのですが、同時に国民もモラルが崩壊してアホが増殖して不気味な様相を呈しています。一般庶民は低賃金で忙しく仕事に追い回され個人としてのありようを考える時間とてなく、教育も知識の切り売りに終始し、高等教育でさえ独立採算制のもとお金に追い回される制度に翻弄されているのが実情ではないでしょうか。
金がすべてを解決する、という怠けた思考が跋扈する中で、国家と個人はその境目が融解して、国家に代わって戦争を煽りたてる連中が出てきています。彼らは戦争という状態への想像力さえ枯渇させて、敵という概念のなかに一般人も国家もごっちゃに含んで論じます。というか自分が国家である気分なのかもしれません。こういう気分の中で排外的な空気が醸成されるのでしょう。
日本語もそういう意識を醸成する一端を担っているのでしょうか。国家・国民・国という言葉は、すべて国という漢字を含んでいます。英語ではstate・nation・ countryと別の単語ですよね。中国語では国家・人民・〇国(国という漢字は単独では用いない)あるいは家郷で、国べったりではありません。
私は最近、自身を北京で生まれて三つ子の魂までそこで育てた「在日日本人」だ、と思うようになりました。気持ちの風通しが良くなります。戦後の混乱の中、家族みんなで向こうの人々の庇護を受けて食糧不足も経験することなく仕事を得て過ごせたことに両親ともずっと恩義を感じていたのを知っていますし、私自身も常にそれを意識してきました。しかし今の日本の空気の中では、ほとんどの人が無意識の「中国は敵」に洗脳されているので、黙っていることにしています。
モラルだけでなく経済的にも衰えてきた日本に果たして希望はあるのでしょうか。自問自答を続けています。
⁑前回から1年近くが経ちました。その間に物価は上がり生活が大変になっています。近所の商店街で30%のプレミアムを付けた商品券が3度にわたって販売されましたが、販売時間の1時間前には行列が完売の人数に達して私はあぶれてしまい、人々の節約生活の必死さを感じました。
論じてしまいたくなる性癖から、更新まで長くなってしまいました。余暇の音楽活動に時間を乗っ取られていました。次回の更新まであとひとつだけ論じたいことがあります。あとは、このサイトの本来の目的であるふと思ったことなどを簡潔に述べて更新を多くしたいと思います。
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