日本の絶望的な状況がつづいている背景には、目も当てられないほどの公然たる権力の私物化があげられると思っています。安倍⇒菅⇒岸田と進んで現在、岸田首相の権力志向はもはやアディクションの域に達しているようです。ひたすら自分の思うがまま権力の行使をしたくてたまらない、という嗜癖に突き動かされて動いているような恐怖を感じることがあります。おそらく国民という概念そのものが権力の対象物となっている、と考えなければ、現在の気味の悪いほどの無表情の説明がつきません。
国民が反対するということが権力行使の動機になっているようです。それが面白くてやめられない幼児性さえ感じます。報道によると「増税メガネ」と呼ばれることに腹を立てている、とか。これも幼児性。問題は増税。権力を持ってはいけない人間が権力を持ったならば、そこにあるのは権力を維持するための人事が最重要になり、政策はすべて周囲の人間がそそのかしたことを試しにやってみるだけになり、そこに哲学や倫理などかけらも見いだせません。自らの政治への意思がないままに権力を持った人間の周囲にはここぞとばかりに有象無象が群がり、無責任な提言を始めます。こうなったとき国は間違いなく崩壊します。
思いつくだけでマイナンバーカードの問題も健康保険制度の問題もインボイスの問題も汚染水放出の問題も防衛費倍増の問題も原発再稼働の問題も自衛隊の沖縄駐屯地の問題も選択的夫婦別姓の問題もLGBTQ2+の問題も入管法改正の問題も、その他漏れているものもたくさんあるような気がしますが、なにもかもしれっとやり過ごしている岸田首相は、どう考えても普通の状態ではないとしか思えないのです。転がり込んできた権力を使っては面白がっているとしか考えようがない怖さ。何故という問いは無意味なのでしょう。私は彼がある種のアディクション状態に陥っているとしか思えなくなってきました。
菅首相が最初に学術会議にいちゃもんをつけて大問題になったのは周知の事実ですが、少なくとも菅首相はいちゃもんをつけた結果の大きさに驚いたはずです。首相の権力の大きさを権力を行使することで感じたでしょう。政策については特にコロナとの兼ね合いでのGOTOトラベルで多くの批判があり、撤回せざるを得ませんでした。国民との綱引き状態がいくつかありました。ところが岸田首相になってからは、どれほど批判があっても「蛙の面に水」状態で、議会が閉じている間に大急ぎで前述の問題政策を進めて平気の平左です。
首相がただ一つ留意しているのは、アメリカとの関係を第一におくことで、それを地位の担保ととらえていることです。それさえうまくやれば、あとは野となれ山となれ、でなんでもできるという全能感に浸っているように思えます。これは政治の問題ではなく心理学の問題なのでしょう。日本の国の崩壊・沈没がやってこようというときにそれを加速させるにふさわしい首相、「適材適所」にもっともかなっていない首相を持った国民の不幸、それは国民の自業自得なのでしょうか? 政権交代ができるかどうかがすべてのカギを握っているように思うのですが、きわめて悲観的になってしまうのが恨めしいです。
この全能感を加速させるために使われているのが、海外への援助資金のばら撒きです。多額のお金を支払うことが大きな快感を伴うものであることを、規模はまったく違いますが、私の元パートナーが体現していました。なぜか支払いが生じると、それをやりたがるのです。たしかに支払うとちやほやされるかもしれませんが、それは力関係によるものだから、私からすれば、それがどうしたと思うのですが、どうやらある種の快感を得ているのだとわかってきました。岸田首相の海外への援助資金ばら撒きは、それと共通するものがあるようです。
すでに述べたように私の中で岸田首相は心理学的な対象になっていますので、その観点からすると、相手国が実際に日本という国を代表する自分のことをどう思うか分析する前に、言いだしたときのちやほやされる快感が忘れられないのでしょうか。逆に、日本国内で起こっている子供の貧困は首相に不快感を与えるのかもしれません。一般国民は首相にとって不快なのかもしれない。いくら国民が馬鹿でも、冷たい視線を感じている人々が少なからず出てきているようです。それが一部分であっても地方選挙での結果として表現されていくのかもしれない、と小さな期待をしています。快不快や嗜癖で政治を動かされては堪らない。
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