いま気がかりなことー中国の党大会から

雑感
秋空を背景に赤い実が映える(2022/10/26千本丸太町街路樹)

 中国での党大会が10月22日に終了しました。私は2001年から2011年まで中国の大連と上海で過ごしたこともあって、中国の情勢には関心を持ってきました。さらには1948年まで、北京で生まれ育ち北京の人々に囲まれて大切にしてもらったことは、親の話だけでなくなんとなくの断片的な情景の記憶として、私の中に存在し続けています。あの時代に食糧難を知らないで育ちました。父が勤務していた地質調査所の職員宿舎では、広く塀に周囲を囲われ、入口には門番が詰めている中、自由にのびのびと動き回って過ごすことができ、親にとっても安心できる空間が確保されていた、と言います。

 ですから、政治的な論調がどうであれ、人々に対する親しみはそのままです。そして2001年から2011年まで、中国が大きく変化しそのダイナミックな動きが全開に達する時期に、再びその場所にいたことは、素晴らしい体験でした。車も携帯も世界中の製品が中国に流れ込んでいました。中国で世界を見ました。だから当初は日本の商品の影の薄さに驚いたものです。「価格は高いけれど使いにくい」と言われていました。すでにIT関係の商品で現在の衰退の兆しを感じていました。私自身はノキアの携帯を使っていました。スマホはまだ一般には普及してなくて、ネットはパソコン接続でした。

 OSは海賊版全盛で、ウィンドウズme、98、2000、XP、7、とVistaと8を除いて全部試すことができました。IT関係のものが気軽に試せて、みんな貧しくとも意気軒高でした。修理も簡単にできて生活のなかに溶け込んでいて、このIT分野は中国人の性格に合った得意分野になるかも、と思ったのもむべなるかな、と。スマホは2010年代になってから一気に広がりましたが、国の政策としてそれを普及させるため、ガラケーよりスマホでの利用料金を安く設定したとのことです。2013年、北京に行ったとき、そういうことの苦手そうな知り合いがスマホを持っているので「なぜあなたが??」と尋ねたら、そういう理由でした。

 逆に同時期の日本について疎くなり、2011年に帰国した時など、銀行の名前が変わっていて、どの銀行がどの銀行やらわからなくなっていました。非正規雇用が広がっていること、ネオリベの論調が跋扈していることなどにもしばらくは気がつかないままでした。2012,2013年と相次いで親が亡くなったこともあり、気をつけているつもりでも海外に居たりその他の忙しさに取り紛れて、ふと気がついたときは第2次安倍政権でした。嫌いでした。こんなことを言うと非科学的非論理的と言われるでしょうが、安倍晋三という人に私はなんとなくの生理的嫌悪感を抱いたのです。この人は女性から嫌われるタイプだったのじゃないか、とも思います。世論調査では常に女性の支持が男性より低かった記憶が…。

 さて前置きが長くなりましたが、今回のテーマについての気がかりというのは、習近平体制が3期目になったことです。中国の人は政治の話題が大好きです。意外に思われるでしょうが、過去に政治に翻弄される時期が長かっただけに、自分の身を守るためにも、政治の動きには敏感で、普段の会話でも、頻繁に政治の話が出てきます。ですから、中国にいたときは政治に詳しくなってしまいました。中央委員の名前も、何を担当しているかもひととおり知っていました。

 その中で人々が政治に信頼を置く理由の一つとして、定年制と党総書記=国家主席が2期までの地位であることがあげられました。党内闘争が凄いということはみんな承知していましたが、それでもそれがずっと続くわけでないことは、安心材料だったと思います。この体制は、朱鎔基が総理(日本で言うところの首相)だった時代の置き土産です。これを強引に決めて、権力に執着する総書記の江沢民を引きはがしたともいわれています。この体制の良さは2期目には中央委員の中から後継者を育てておかなければならない点です。1党体制下で独裁を防ぐには効果的だったと思います。

 私が中国にいた時期は胡錦涛が総書記で温家宝が総理でした。どちらかというと中国の政治指導者としては地味で穏やかだと思いました。胡錦涛の2期目、習近平が中央委員の一人になりました。同時に李克強が中央委員になり、この二人のどちらかが次期総書記の候補だ、と巷でのもっぱらの噂でした。そして確かに2012年、習近平が総書記=国家主席、李克強が総理の地位につきました。10年後には、別の総書記に移行するかと思っていたのですが、2018年、国家主席の任期制限が撤廃されました。その結果、今回の党大会で、習近平が3期目の党書記=国家主席になったというわけです。

 私は、過去の歴史から考えて、また一般的にも言われているように、権力の地位に長くいるとその政権は腐敗する、と思っています。この場合の腐敗とは、独裁色が強まってそれに伴い公正な判断のできない輩が群がって、政権を私物化することを意味します。安倍やプーチンがまさしくその罠にはまったわけです。中国の人々に親しみを感じるがゆえに、今回の政治情勢に危うさを感じています。2011年に中国を離れたときは、人々の「政策あれば対策あり」のたくましさを感じていましたし、それなりにのびのびした社会の到来を予感できるほどだっただけに、今回の件は残念でなりません。

 習近平は、太子党(党高級幹部の子弟)の筆頭ともいわれていて、中国でも世襲が目立ちだしていることに危うさも感じます。以前は党内闘争の激しさから、幹部の子弟は実業界に進み、政界には行かないとも言われていただけに、この変化も大きいです。日本と同じ轍を踏んでほしくないだけに、この現象は憂うべきでは、と気がかりです。

 同時にこの人事をネタとして、日本で敵対的感情を煽る人たちがいます。彼らはひたすら戦争を追い求めているようですが、戦争が敵味方関係なく殺し合いの果てに、人の心をずたずたにするものであることを知らないのでしょうか? 戦争産業を肥え太らせて、あとは死屍累々の社会が残る恐ろしさがわからないのでしょうか? 戦争には勝者も敗者もいません。何の関係もない人間同士が殺しあって何が残るというのでしょうか。もう一度その本質を知るべきです。さらにアメリカという国が、さまざまな国を戦争に巻き込むやり方に、日本政府が警戒心なく乗っているのも恐ろしいのです。外交力を鍛えるべき時です。本気の外交で戦争を防ぐことがいまいちばん重要です。

 「なにがなんでも絶対戦争をしてはいけない」。これは南京事件に関係した叔父が、ある日私にふと語った言葉です。強調して強調しすぎることのない大切な言葉です。私はこれを叔父の遺言としてその心を継承していきたいと思っています。

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