マイナカード問題の正体

社会問題
南禅寺三門・観光客が戻りだした(2022/09/25)

 いまの日本は、問題があふれかえってそれを追っていくだけで精いっぱいです。思いがけない展開に目を奪われて時間が過ぎていきました。今回取り上げるマイナカードについても、8月にはそれほど焦点になっていなかったので、落ち着いて考えることができると思い、最初の原稿を書きかけたのですが、いまや唐突に健康保険証や運転免許証の紐づけを政府が発表して連日話題になっています。

 私自身は、すでに行政が国民全員にナンバーを割り振っているにしても、カードは作っていませんし、作るつもりもありません。単純に、政府の姿勢に上から国民を管理しようとする態度が見え隠れして不愉快だからです。任意だったはずがいつの間にか義務に変えようとしていることも、不信感を増強するものでした。ポイントという姑息なもので国民を釣り上げようとするのは国民を馬鹿にしているとしか思えず不快、さらにポイントを強調する政府の広報に、<魂を売り渡す>にしてはケチな金額、全体としては巨額の予算をつかう、とまたまた不快になりました。

 twitterでの発信もかなり丹念に調べました。140字以内の切れ切れの意見を読んでいく中で、私がいちばんの問題だと思う視点について言及しているものが、あまり見当たりません。見落としているだけなのかもわかりませんが、ここである程度まとめてみたいと思いました。

 システムを作るのが人間である限り、ミスは避けられないものという前提で運用されなければならないのですが、ここに保険証や運転免許証、さらには閣議決定で預金や資産、私の聞いた噂では学校の成績など諸々をなし崩し的に紐づけして一本化したがっているとのうわさも聞きます。ここで仮にシステムダウンや情報流出が起こったときの恐怖について考えないのでしょうか? システムがダウンしたら普通の生活が成り立たなくなります。どんなに気をつけていても起こるときには起こります。

 システムそのものの想定外の不具合は、地震などの自然災害・サイバー攻撃などによって、現在でも起こっていることです。最近、ある銀行システムの不具合で、その銀行を利用する多くの人々が困りました。それを例にとっても、国民全員が被害者になるようなシステムの一本化はなんとしても避けるべきです。繰り返すようですが、このシステムがダウンすることへの恐怖はもっと語られなくてはなりません。

 さてここで、この政府の情報を扱う発想の甘さが何かに似ていると思いませんか? 原発の安全性を喧伝する政府の姿勢が、まさにこの発想です。福島の原発事故は、あれだけのことが起こっても偶然のラッキーな状態があって、運良く東日本壊滅が食い止められた部分があったのです。例えば、使用済み核燃料保存プールがぎりぎりで崩壊しなかったことなど。二度と起こしてはいけない事故なのに、いつの間にか利権優先で判断が甘くなっています。

 過去の度々の情報流出から、政府が信用できないという理由でカードを作らない人は多いと思いますが、システムがダウンする怖さはもっと強調されて然るべきではないでしょうか。一本化という愚策はなんとしても避けるべきです。セキュリティとハッキングの技術は、同時並行的に進歩してきました。どちらが先を行くかはわからないのです。国家間で情報を制する者が勝者であるような現在の世界で、こんなバカげたことを考える政府はまったく信用できないのです。  

 それを避けるためにも、複数のアクセス方法で安全性を担保する必要があります。ということは現在日常的に使われていてとくに問題も起こしていない健康保険証を残すことです。運転免許証もそのままでいいのです。いま不便を感じているのならば対策を講じなければなりませんが、そうでないものをわざわざなくして、リスクのある方法に一本化するのは最高にばかげています。どうしてもマイナカードに保険証を入れたければ、国民に選択を任せるべきです。選択できることが民主主義や自由の必要条件のひとつではありませんか。

 あとは使い勝手の悪さでしょうか。とにかく国民を管理したいという思いのにじみ出ているマイナンバーですから、使いやすいかどうかは二の次で結局は押しつけになってくるのです。その使いにくさの代表がパスワードの設定とその定期的な変更です。間違いなくそれを忘れる人が少なからず出てくると思われます。それとカードの盗難や紛失、偽造も…。そもそもあらゆる情報の詰まったカードを携行することの非現実性はどうなのでしょう。

 システムを構築するときにはあらゆる状況を想定して、それに対応できる態勢が必要ですが、いままでの政府のやり方では問題が起こってから慌てて絆創膏を貼るような姑息な対応に終始し、結局つかいものにならなくてやめることの繰り返しだったような気がします。10万円給付に際して起こったマイナカードでの申請のドタバタはその典型でしょう。コロナ対策アプリのココアも拙速につくられて結局中途半端で役に立たずでした。

 健康保険証も運転免許証も、想定外の問題が山積して紛糾し結局は使われず、それに関係した利権を肥え太らせる結果だけが残ることになるのではないか、と思っています。利権政治ここに極まれり、です。利権の前では国民は歯牙にもかけられていないのでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ⁂いま日本の社会では戦争を前面に押し出して、深く考えずそれに同調する人たちが増大しているような気がします。多くの問題が社会に噴出していますが、戦争をうたい文句にすることで一気にそれらをないものにしてしまおうとする勢力がのさばりだして、再び全体主義の匂いが立ち込めてきています。その出発点は安倍政権でしたが、当人が亡くなってもその傾向はしぶとく生き残っています。戦争を手段にする恐ろしさに気がつかない国民、戦争が起こってからでしかそれがどういうものかわからない国民はいったん滅ぶのです。外交が機能しない国に未来はないでしょう。そういう思いからハンナ・アレントについての解説本を求めました。本来ならば彼女の著作に直接触れなければならないのでしょうが、それに先立つ入門書としてこの著書を紐解いています。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました