今年7月8日安倍元首相が銃撃された事件の第1報に、私は1963年のケネディ暗殺事件を思い出していました。それは銃が使用されたということで、とっさに思ったことです。日本では銃は暴力団抗争のときに使われる程度で、日常的な場での登場は考えにくかったのです。さらに政治家が襲われたということから、裏が複雑になって真相の解明は難しいのではないか、とも思いました。
ケネディ暗殺事件でも犯人とされたオズワルドが警察拘留中ジャック・ルビーに銃殺されるという展開を見せて、映画化もされたもののいまだに真相が明らかになっていない事件です。日本では衛星放送の最初にアメリカから送られてきた映像がこれで、私もこの映像を見た記憶があります。
現在のところ、容疑者の供述を中心にマスメディアが動いているようですが、単なる統一教会への恨みつらみでなく、宗教という装いをまとったカルトをバックに自民党の歴史そのものが隠されていることが明らかになりつつあります。とはいえ複雑怪奇な内実に呆然とします。これからもあっと驚くような事実が明らかにされるのではないか、まだまだ裏がたくさん隠されていそうな現在の状況。宗教という形がややこしさを倍加させているようですが、カルトの基本「人権を蹂躙する行動」「法への違反行為」という2点を満たしている点で統一教会はカルトであって宗教としての資格を持たないのは明白です。
さらに以前のサイトで述べたように日本社会で表面化しない暴力性がこれから噴出していくのではないか、とも思っていましたので、今回の事件は、やはり起こってしまったか、という意味で意外でもありませんでした。それよりも、むしろ政治の世界がカルト化していたことのほうに驚愕しました。カルトの世界が政治を動かす大きな力を持っていることの怖さ、背筋が凍るほどの怖さを感じます。関係している議員の多さから、あらためて日本への絶望感を掻き立てられました。
カルトと宗教の区別のつかない人たちがコメント欄で宗教攻撃をしていますが、こういう宗教に対する無知が、日本でのカルトの隆盛を招いているようにも思いました。心の平安や生きるよすがを求める人々によって宗教は支えられてきたとも言えます。それぞれの国において世界3大宗教と言われる仏教やキリスト教やイスラム教は、壮絶な過去の宗教戦争を含む争いの果てに落ち着き先を見出したかのようですし、それぞれがそれに応じた文化をバックボーンとして形成しています。お互いに相容れるかどうか、難しい側面が折に触れ出てくることもありますが…。

には空から撮るしかない。下の絵葉書を参照。
1997年イタリアのクレモナを訪れました。その時にたまたま旅先で会ったフランス在住キュリー研究所の方と、目の前の豪壮なカトリック教会、ロマネスク建築の代表でもあるクレモナ大聖堂を見ながら、「昔の人たちは貧しい生活の中で『せめて来世は天国に』と願ってつつましい生活の中から教会に献金をした結果がこれなんですね」と話したのを懐かしく思い出します。たしかに宗教の歴史をたどるとき、いままでの発展過程においてカルト的な側面はあったと思いますが、少なくともその起源は貧しい人たちを対象として励まし、苦しい現世からの救済的な役割を担ってきたのは共通しています。

左右逆になっている) クレモナは17,18世紀にはストラディバリをはじめとする名器が製作された
弦楽器のメッカともいえる町
しかし、この現代にあって、生きることを絶望させ人間を差別して否定するカルトが日本において多々存在します。わかっていたとしても、今回の事件をきっかけに実態が露わにされるまでは、多くの無縁の人にとって、遠い世界の話と思ったのではないでしょうか。
またしかし、ふと振り返ったときに、私が中学生だったころ、家族が全員いわゆる流行り目に感染し、私も妹も原因の分からない腫物に悩まされることがあり、母が「なんでこんなことが次々に起こるのか、何か悪い因縁があるのだろうか」と嘆いていたことがありました。なに馬鹿なことをいってるの、と一蹴しましたが、こういう心が弱ったときに不幸の匂いを嗅ぎつけてカルトが忍び寄るのかもしれません。ちなみに腫物は酸化した油の摂取が原因だったのでは、とのちに思いました。
さて、自民党の政治家が宗教と親密な関係にあることは、学生時代、PL教団教祖生誕〇〇周年記念祭の音楽演奏のアルバイト(ワグナーの「さまよえるオランダ人序曲」でした)に行ったことがあり、式典の祝電披露で名だたる自民党中枢部の政治家の名前が次々読み上げられるのではじめて知りました。当人が実際に会場に来ることはなく、祝電の範囲だったので、政治献金を貰ってるんだろうな、と思いました。式典会場に出席した人たちは、みな裕福そうだったので、PL教団は金持ちが中心かも、と、他方の庶民的な創価学会信者と比較して違いを感じていました。
今回、注目されている統一教会については、現在多くのメディアで政治家との関係を中心に語られています。私も連日おもにYouTubeで語られるそれを聞いて、予想以上の喰いこみ方に驚くばかりです。たしかに容疑者の行為は殺人という意味で許されないかもしれませんが、この行為がなければ果たして誰か、この闇を暴くことができたのだろうか、と思うとき暗澹とした気持ちになります。人生が、努力に関係なく、何もかもマイナスの方向に進行していって自分ではどうしようもなくなった容疑者の境遇は聞くだけでも辛い。しかも自民党支持者であったという救われなさ。
現在、国葬をめぐってかまびすしい議論が起こっていますが、いまもアベノミクスの結果で日本経済が身動きの取れない状態になって、その結果として物価高に苦しめられている貧困な人がおおぜいいるときにこれはないだろうと思います。その経済の出口さえ見えないというのに…。そして多くの政治における安倍元首相の疑惑が全く解明されていないのに…。私は反対です。許せない行為だと思います。政府がこれを強行しようとすること自体、民主主義への挑戦だと思わざるを得ません。というか、こういう発想がどこから湧いてくるのか、すでにカルトに乗っ取られた見知らぬ国の政府のように感じました。
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