私自身は日本の愛国者かどうか、さぁどうかな、といったところですが、京都に関しては愛着があり独特の雰囲気が好きです。でもそれが「好きでした」になりそうで、京都の施策に首をかしげることが多くなりました。目新しさの追求に走り、品位を疑う内容のものが出てきました。その周囲にはその事業で利益を得るいわゆる利権団体が群がっているのでしょう。
たとえば、植物園を中心とする北山エリア再開発計画です。簡単に言えばこの地域のアミューズメントパーク化計画です。この地域は下鴨神社や上賀茂神社を結ぶ豊かな自然に囲まれた場所です。それでも私の子供時代の景色から考えると随分開かれた地域になりました。もともとがおしゃれでありながらも閑静な場所であり、北白川地域とならぶ上質な住宅街とのバランスが取れたところだったと思います。京都でもまだ市街地には本格的なケーキ屋さんが少なかった時に、下鴨に「バイカル」が店を出して、上質な御遣い物として重宝したのを思い出します。私なりの憧れの素敵な地域でした。
さて、具体的にこの再開発計画を見ると、まず植物園に対するぞんざいな扱いが目立ちます。その独立性が損なわれています。周囲の垣根を取っ払って誰もが足を踏み入れることのできる市街地に近い扱いになっています。植物園は本来学術的な性格を持った施設で、さらに踏み込んで人々を科学の世界にいざなう役割を担うもののはずです。こういうものは一朝一夕にできるものではなく、いったん壊れたら元通りにするのはまず無理だし、復活させるには長い年月が必要ですし、失われたものにはそのまま消えてしまうものもあるでしょう。昨今の自然環境保護のためにも、植物園の果たす役割は大きいというそんな時に、その流れに逆らうような計画を認めることは私にとって耐え難いことでした。
1996年にポルトガルのコインブラを訪れたとき、その町がコインブラ大学(13世紀創設)を誇りとしているのを感じました。ポルトガルではリスボン大学と並び立つ大学の両雄です。大学図書館(18世紀)の壮麗さそして大学植物園(18世紀)の落ち着いたたたずまいと大学町としての静かな環境に心が豊かになる思いでした。その折の感動が忘れがたく、それをオーバーラップさせながら京都の植物園を見てきただけにこの計画はショックでした。検索で調べましたが、コインブラ大学植物園は現在も私が訪れた当時と同様の状況のようです。
さて京都の計画についてさらに調べますと、植物園の芝生の広場に野外ステージを設置し、植物園周囲にシネマコンプレックスと賑わい施設、そして府立大学の中には1万人収容のアリーナを建設など、計画を知るにつけ、目を疑いました。京都に映画館がないわけではありません。むしろ人口に合わせた程度にはあります。アリーナもすでにふたつ存在すると聞きました。府立大学や学術施設としての植物園をずたずたにするこんな計画は異常としか言いようがありません。誰が何の目的でこれを推し進めようとしているのか、が大変気になりました。
プランを立てたのは東京のコンサルタント会社だと聞きました。この地域の特性、特に下鴨神社や上賀茂神社を南端と北端におき、植物園はその中間の位置にあり、環境的にも大切にされるべき地域であること、など全く理解されてなく考慮のない計画になっているのがわかります。もちろん地域の住民への相談などないままで、京都の地域的な特徴を全く無視した計画です。なんとなく日本全国どこでも使えそうな内容になっているのが気になりました。東京の神宮外苑の樹木1000本伐採計画にも共通したにおいを感じました。

案の定、日本各地で外部委託による計画が立てられ、そのどれもが自然破壊的な、大衆うけのしそうないわゆる「パンとサーカス」にのっとって地方自治体と企業が組んで企業を儲けさせる計画であることがわかりだしました。利権の匂いがぷんぷんします。逆に、岩手県紫波町のように地域住民の意見を聴き、その要望に沿って計画が立てられ、地域住民の生活も自然も大切にされているとの話を聞きましたが、いまの日本では稀の稀な例です。多くはコロナまで絡んで思い通りにならず経済的に自治体のお荷物になっていて、東京だけでなく計画を立てた至る所で樹木の伐採が予定されているという惨状です。樹木の管理にお金がかかるから、というのが本音だ、と聞きました。
これを知ったとき、京都の問題は京都のみならず日本全体の問題なのだ、と認識しました。京都でこの計画に反対することは、日本全国での同様の案件にノーを突き付けることでもあると思いました。自分の意思をはっきり示したくて署名に参加しました。京都では知事選挙が4月10日に行われましたが、その計画のことはまったく触れられないままでした。自分も署名し仲間にも署名をお願いする中で、計画が全くこっそりと進められていて、知らない人が多数でした。まさに「寄らしむべし知らしむべからず」の江戸幕府と同じ。
そして使われるのが税金です。巨額の予算が使われるのに、採算が極めてあいまいな状態で、企業はもうからなければ逃げることができますが、注がれた税金は戻って来ません。1万人収容のアリーナは聞くところによれば、プロバスケットボールチームを維持するために必要とのこと、しかし365日のうち、稼働する日はどれほどなのか、1万人を集めるというのはたやすいことではないし、周辺の交通その他短時間に集中する人波をどのようにさばくのか、課題山積状態で計画にゴーを出すのは無責任の極みだと思います。捕らぬ狸の皮算用的な計算一覧表がありますが、そんな甘い数字でもまずは赤字から転換するのにどれだけの年月がかかるのでしょうか、恐ろしいことです。
大阪のIR計画は54年後に黒字になるとの話ですが、もはやこの手の話は責任をとれない、と聞くべきです。計画を立てた連中はすでにあの世に行った後、荒廃した野っ原だけが残されるようなことをするべきではありません。京都はすでに財政難に陥ってますから、賢くお金を使わなければならないのに、私が知っている範囲でも、河原町通りから烏丸通までの四条通の1車線化という愚策(これによって渋滞が常態に)、マイナンバーカード申請の書類を同封したファイルを観光客がたくさんいる街中で配布する(2019年)、市役所のエレベーターの扉を500万円の漆塗りにしたり(2022年3月)など、無駄遣いのオンパレード。極めて無責任な京都市市長と京都府知事のコンビです。〇〇道の家元が集中している京都では、その闇も深いのかもしれません。火中の栗を敢えて拾おうとする勇気ある人は出てこないのでしょうか。
⁂ずっと以前京都ホテルで行われた〇〇道の先生の何かの記念パーティーで演奏アルバイトをしたことがあります。さまざまな〇〇道各家元の先生・京都市長などのお歴々がずらっと並んでいました。この時に、そうかこれが京都の権力なんだ、と思いました。
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