悪夢としか思えないようなプーチンによるウクライナへの侵攻が始まって以来、時間だけがいたずらに経って死傷者が増大していく痛ましさに言葉を失います。裏側では国際的に停戦に向けての動きが慌ただしく続いているはず、とそれに期待するばかりです。洪水のような報道の中、判断することの難しさをつくづく感じています。いま求められているのはとにかく停戦です。といっても停戦すべきなのはロシアの側でしかないので、ロシアでのプーチンへのレジスタンス運動、あるいは権力側におけるクーデターでしかこの戦争は収拾できないのではないか、とともすれば悲観的になってしまいます。
私にとって「ウクライナ」という言葉から、即座に連想するのは黒土地帯の豊かな農産物、チェルノブイリ原発事故、そして独ソ戦での悲惨な戦いです。さらに、東部のドンバス地域ではショーロホフの「静かなドン」が思い出されます。
以前にも書きましたが、ノーベル文学賞受賞作家であるスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチはウクライナ出身です。ジャーナリズムという手法での真実性を追求した彼女の作品に「チェルノブイリの祈り」「戦争は女の顔をしていない」「ボタン穴から見た戦争」があります。「チェルノブイリの祈り」は原発事故について、「戦争は女の顔をしていない」「ボタン穴から見た戦争」は独ソ戦でのすさまじい戦争の現実について、女性と子供の視点からそれぞれ証言によって構成されています。これらの証言によってそのひとつひとつのピースが真実という作品を構成し、淡々と語られるのに実際は息をのむ極限での人間のありようの根源に行きつく、そんな迫力に胸を打たれてしまいます。
独ソ戦はドイツとソ連との言葉を失うような激しい戦争でした。ウクライナはヨーロッパとロシアの間にある地域でしたし、第二次世界大戦ではソ連の側に組み込まれていましたが、ドイツが攻め込む地域であり、引き上げるときにも通過する地域でしたから、もろに戦闘地域として「もみくちゃ」にされた場所です。否応なく戦わざるを得なかった人々、そして戦禍に荒廃した土地が残されました。地理的にそういう歴史を背負っているのです。人々のなかに息づくそういった歴史の重さを顧みることなくプーチンが侵攻したとすれば、余りにも不勉強すぎます。歴史を軽んじる人間は歴史によって復讐されることを忘れていたとしか思えません。
といいつつもWikipediaであらためてその歴史をたどってみると、周辺地域との目眩のするような激しい攻防がずっと起こっていて、一筋縄では到底つかみきれない複雑な関係がロシアとの間にも横たわっています。一触即発の緊張関係がいつもそこに存在していたことを知りました。両者ともにお互いが目障りな存在だったのでしょう。プーチンが被害妄想に陥ったのもむべなるかな、と思った次第ですが、だからといって一方的な侵攻が許されるはずはありません。
またウクライナの東部地域はドンバス地方と呼ばれますが、それを聞いたときとっさに思い出したのはミハイル・ショーロホフ(1905~1984)の「静かなドン」でした。ショーロホフはパステルナークやソルジェニーツィンの除名に手を貸したことで、その晩節を汚したという印象が強く、いまも残念な思いに駆られます。しかし、「静かなドン」は社会主義革命に振り回されながら、コサックとしての着地点を模索しつつ悩み生きる人間の姿が気負いなく描写された小説です。1926年から1940年の15年間にわたって書き続けられた作品です。舞台は現在のウクライナ東部とロシアにまたがるドン川そして黒海沿岸をめぐる地域で、ショーロホフ自身はロシア側のコサック村ビョーシェンスカヤの生まれ育ちですが、小説の中に描かれたころは、境界線などコサックにとっては曖昧模糊とした概念に過ぎなかったのでは…。
いまのロシアのウクライナ侵攻を機に、日本で国防について騒ぎ立てる輩がぞろぞろ登場していますが、なんとやわな連中でしょう。なにもわかっちゃいない。この筋金入りの凄まじい歴史を知るとき、いま私たちに必要なのは粘り強く話し合う力、外交力こそが武器なのだ、とつくづく感じるのです。これが政治家のひとつの大きな役割だ、ということを認識して政治に携わっている人は、この日本に果たしてどれくらいいるのか、限りなく心もとない状況…。

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