ウクライナへのロシアの侵攻が引き起こした世界の大混乱を見るにつけ、悪霊どもがあちらこちらで跳梁跋扈しているのが目に余る日々です。プーチンが常軌を逸しているのが明らかになるにつれて、それにあぶられる形で鮮明になってくる力を崇拝する小プーチンどもの言動が混乱を拡大再生産しています。日本にもたくさんの小プーチンがわらわらと現れました。
いま私たちがぶれずに守るべき立場は、戦争という行為に反対することです。戦争は勝っても負けてもすべてを破壊し、究極人間を破壊する行為です。なぜ見知らぬ人間同士で殺しあわねばならないのか。戦争は人を殺すことです。この一点をじっと見つめなければなりません。国家に利用されてはなりません。国家は国民のためにあるので、国民が国家のためにあるのではないことを立ち止まって冷静に考えるべきです。
プーチンの被害妄想は疑いようもないのですが、そこへと追い込んでいったバイデンはプーチンの状況を甘く見ていたとしか思えません。自分の中間選挙に向けての支持率の上昇を意図して行動していたのでしょう。NATOが北大西洋条約機構という軍事同盟であり、アメリカがその中心にいるのはれっきとした事実です。1999年NATOが旧ユーゴでの紛争でセルビアを空爆した記憶が呼び起こされます。あれはやりすぎであったという反省もあるようですが、起こってしまったことは取り返しがつきません。
ドイツが軍事費を増大させ、ウクライナへの武器援助を申し入れた、という報道に、第2次世界大戦での独ソ戦の因縁がまだ続いているのだろうか、とも感じて、ヨーロッパとロシアの関係の、歴史や宗教をバックにした複雑さをあらためて知る思いです。独ソ戦でもウクライナは両軍の狭間に立って多大な犠牲を払っています。またキエフ公国というロシアの発端となったウクライナへのロシアの執着もみて取れます。絡みに絡んだ複雑さ。
ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチはその著「ボタン穴から見た戦争-白ロシアの子供たちの証言」(岩波現代文庫/訳三浦みどり)で独ソ戦のときにウクライナにいた赤裸々な子供の目から映った戦争を言葉に定着させました。戦争が人々に何をもたらすのか、それは災厄としか言えない悲惨な出来事の連続です。
まるでゲームのように戦争という火遊びをする世界に、日本でも小物たちが我も我もと勇ましい言葉で加わろうとしているのを唾棄したい思いで見ています。こんな風にこじれた世界で第3次世界大戦が起こるのでしょうか? 学生時代「ティボー家の人々」を読んだ時、その中に、人々は戦争は起こらないと思っていたが起こってしまったという内容の記述があったのを鮮明に覚えています。この戦争は第1次世界大戦でした。
私たちができることは、平和な社会をどうやって実現するか、ということです。外交力を鍛えて問題解決能力を向上させていく、という地道なやりかたしかないでしょう。そう考えるとき、思考停止状態で反射的に行動する人の存在が疎ましいのです。前回取り上げた維新の連中です。彼らはまさしく小プーチンです。法の無視、力への盲従、善悪への無関心、モラルの軽蔑、敵を作っての攻撃、こういった特徴をそなえています。
戦争は戦った兵士にも大きな傷を残します。人間が破壊されてしまうのです。それは何年もたってから静かに浮かび上がって人を苦しめます。そういう人を知っていました。中国戦線でのことでした。なぜあんなことができたのか、自問自答の中で何気ないものがその人を突き刺すようになります。私が小さいころ、お盆には鶏をさばいてもてなしてくれました。いつしかそれがなぜか戦争を思い出させるので、もうつらくてできない、と告白。そして「何があったとしても戦争だけは絶対にしてはいけない」と普段は政治などに関心のなさそうなその人が言いました。亡くなって40年以上経ちますが、ことあるごとにその声と言葉を思い出します。
⁑ついでに
①2000年の沖縄サミットがプーチン最初の日本登場だったように思います。テレビでプーチン紹介画面を見てビル・クリントンが「So young!」とつぶやいているのが印象的でした。当時クリントンは54歳、プーチンは47歳。二人とも今の日本の政治家と比べれば若いのですが…。今年プーチンは69歳、政治の世界で権力を持ち続けてきたが故の認識の歪み、どんなに優秀な人間でも陥る罠です。
②なぜ戦争がいつの時代にも起こるのか。これについては私たち仲の良い女性が集まると「男性は競う性だから必ず戦争を好む人が一定数含まれることが大きな要因になっている」などの話で盛り上がります。対して女性は「だって命を育むんだもん」となります。戦争をけしかける女性は、というと「あれは男社会に認められた女性だけだから」と。
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