寒さをしのぐ

回想
寒風の中で樹にしがみつくイチョウの葉

 本格的な寒さが訪れようとしています。京都の寒さは「底冷え」。身体の中心部そのものが冷えを放って皮膚に伝わってくる寒さで、なかなかの兵です。中国語では「寒冷徹骨」すなわち「骨を突き通す寒さ」とさらなる表現の激しさ。 

 私が小学生低学年のころはまだ火鉢が活躍していました。そこで手をあぶってみかんを焼き餅を焼き湯を沸かし、子供たちがくっつくことでなんとはなく暖まっていました。寒い朝には近所の大人たちが輪になって、米俵や木切れなどを路地の角で燃やして焚火をし、登校前にそれにあたってから学校に駆け出したものです。

 高学年になると掘りごたつが居間にあって、底に炭がいけてあり、宿題から本読みから遊びに至るまで、学校から帰るとほぼそこに陣取っていました。中学生になるころ、叔父から万年筆を貰いました。当時はまだボールペンは普及していなくて、子供にとっての憧れの筆記具が万年筆でした。嬉しくてポケットに入れて炬燵で本読みをしていて、ふとポケットを探るとないのです。焦って炬燵布団を繰ってみると、妙な匂いがします。潜り込んで溶けかかったエボナイトの軸を見たときのがっかり感。掘りごたつとコンビになって思い出されます。

 大晦日になると子供たちみな、親に駆り出されて、冷たい水でぞうきんを絞って拭き掃除三昧で、手が真っ赤になってジンジンして感覚がなくなります。あれは悲しい寒さであり冷たさでした。最後に暖かいお湯に手を浸して終了したときは少しほっこりしたものです。

 それから幾年冬を迎えたことか、ひたすら着ることで寒さをしのぎ、脱いでも脱いでも服と笑われたこともあります。暖房器具も、炬燵以外にガスストーブ、灯油ストーブ、ファンヒーターと変わってきました。しかし、部屋単位での部分暖房で、断熱という発想もなく、冬は寒くて仕方がないもの、とあきらめていました。

 その寒さの概念をガラッと変えたのが、2001年から2011年までほとんどを過ごした大連での冬でした。行く前はさぞかし寒いことだろうと覚悟してロングコートを準備していたのですが、まず湿度が低いので寒くても冷たくはない、という感覚に驚きました。外出時にはそれなりにしっかりコートを着込みますが、内側には寒さが入り込みません。ちなみに大連は北緯39度で、意外なことに北京より南になります。

 さらに暖房のスチームが都市ガスのように張り巡らされ各家庭に届くようになっていました。シューシューと漏れた蒸気が吹き上がるのを街中で見ることもありました。最初は普通のスチーム暖房器具、のちにはスチームの床暖房で過ごしました。これは実に快適で冬は楽しい季節でした。たしかに外は日中も零下の気温ですが、外をうろうろするのでなければ屋内は常に20度以上が保たれていました。バスに乗ると、室内暖房温度が20度に満たないときは連絡を、という担当部署の告示が貼ってあります。ちなみに零下15℃以下で外に長時間いるのはやはり危険でしたが。

 唯一の欠点は、暖房で湿度が低くなりすぎて、部屋の細かいほこりが静電気のせいで椅子の足を覆うように這い上がってきたり、静電気があちらこちらで発生して手が触れるとパチッと痛みを感じることもありましたし、タクシーに乗るときもドアに素手で触るのは怖い状態でした。日本の買い物で品物を入れてもらった紙袋は糊の接着部分が剥がれてしまいます。暖房料金は一平米あたりで決まっていて、床面積に応じて前払いで支払うシステムでした。

 さて同じ中国と言っても、2004年真冬に上海へ行ったときはまさしく日本の寒さ同様で湿気の高い冷たい寒さにさらされました。暖房器具もエアコンのみの貧弱さで、知り合いの家では室内でコートを着たまま過ごす羽目になりました。上海市政府は夏が暑いので冷房対策はしても冬まで手が回らないんだろう、と知り合いは平然としていました。夏くそ暑く冬むちゃ寒いという上海の自然条件を考えるとき、ビジネスの活発な動きと自然条件が無関係なのはとても不思議でした。現在はどうなのでしょうか。当時、大連など遥か彼方に思えるほど上海のビジネスは中国で断然トップの地位でした。

 2011年に日本に戻り、初めのうちは冬にとても弱くなったことを身をもって知りました。寒さに強くならなければ、と頑張った結果、寒さのストレスからだと思いますが、胃をやられて吐血してしまいました。数々の反省のなかで、最近になってようやく底冷えの京都で冬を過ごすためのスタイルができてきました。冬の達人に近づいたかな、という気分です。

 寒さ対策として、在宅時は、まず袢纏です。袖は折り返します。でないとテーブルの上のものを袖で薙ぎ倒してしまう可能性大です。中綿はポリエステルのほうが軽くて楽です。私が現在着ているものは綿なので重さを感じて微妙に身体が疲れます。夏を旨として作られてる日本の家屋は冬の寒さに弱く、それだけに袢纏は先人の知恵が詰まった冬の日常衣類であると言えば大げさでしょうか。

 足元は皮革製のバブーシュと呼ばれるモロッコの室内履きです。下からの冷たさをシャットアウトしてくれます。厚みがなくてもさすが皮革の強みです。現在履いているのは3年目で、かなりくたびれてきましたが、左右差がでないのも不思議です。夏を除いて部屋で1年中履いています。

3年間履いてくたびれ切ったバブーシュ

 そして下着はユニクロの超極暖の上下セットです。これがあれば寒くなりだしたときは上に軽くもう1着、本格的な寒さならば、上に軽いカットソーとセーター、そして冬用パンツスタイルでOKです。3セット持っていれば充分かな、と。

 暖房はファンヒーターで20℃設定です。寝室は18℃設定で休む前にぱっと点けてぱっと消します。自然の換気のある部屋(‼)なので、今年はコロナの関係もあって隙間テープも貼らずでちょうど良いかも。なおファンヒーターのメーカー名はコロナで、昨年(2020年冬)、量販店へ部品を探しに行き「コロナの」と口にした瞬間思いっきり店員さんがひいたのが印象的でした。

 いずれにしても身体が寒いのは悲しくて辛いことです。ここまで書いたことのすべてをひっくり返すようですが、寒さをしのぐ基本中の基本は屋根のある場所の確保からでしょうね。この寒空にホームレスの人たちはどうして過ごしているのかなぁ。胸が痛みます。

 

 

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