もともとクラシック音楽には多大な関心があり、そのために道を誤ってやくざな人生を歩んできたと自認していますが、そのことは自分の幸福感に何らの影響も及ぼしませんでした。素晴らしい音楽に出会うときの幸福感は余人をもって代えがたいものです。
で、何を言いたいかというと、現在進行中のショパン国際コンクールに日々浸かりこんで感じていることなのです。YouTubeで生中継され、あるいはいつでも好きな時間にそれを楽しめる、これぞ贅沢の極致と言えるのかもしれません。休むとき、しばしの時間耳を傾け、あるいはそのまま眠り込み、ときおり覚醒して再び耳を傾け、早朝からつづきを聴き、起きて断片と化した響きの中で、もう一度演奏された作品全体を聴きなおす、ということを繰り返す日々。
ピアノは門外漢なので、純粋に楽しめるうえ、音色や表現される音楽の美しさは、さすが世界最高峰のコンクールのひとつです。演奏者のとびきりの宝石のような魅力に満ち溢れた音楽には耳が磁力を感じて引っ張られるようです。生で聴くのが最高なのでしょうが、それができないならば、それでも伝わってくる音楽は並々ならぬ魅力に満ちています。
若くて才能のあるピアニストの音楽を一挙に聴ける、という点でそれをコンクールという形に集約するのは仕方ないのかもしれませんが、それぞれ聴いている人たちが、たとえそれが生の音でなくても、自分のお気に入りの音色や表現を見出す場として機能しているのならば、それもありか、と思います。
とはいえ、演奏者の立場からは、極度の集中を要求される過酷な場を自分でコントロールして最高のパフォーマンスを行う、という超人的な努力が強いられるのですから、ここに演奏者として集う人々を、ただただ尊敬するのみです。 また、ショパンコンクールは最初から最後までポーランドの作曲家ショパンの作品のみを弾く、という点で他のコンクールとは異なった趣があります。
ショパンが生まれたのは1810年です。1795年のロシア・オーストリー・プロシャの第3次ポーランド分割でポーランドという国はいちど完全に消滅し、1807年にナポレオンがプロシャとロシアに勝利を収めた結果、ワルシャワ公国ができます。しかし1812年にナポレオンがロシアに敗れたあと、1815年のウィーン会議で、ポーランドはプロシャとロシアに再び分割され消えてしまいます。第一次世界大戦までポーランドが復活することはありませんでした。そしてナチスドイツとスターリンのソ連によって再び国土が蹂躙された、という悲劇の歴史がポーランドには横たわっています。
ですからショパンが故国を離れた1830年にはポーランドはすでに消えていたのです。そのことを知るとき、ショパンがマズルカやポロネーズというポーランド独特の舞踏曲に寄せた望郷(亡き郷へ)の思いが切々と感じられます。ポーランドの人々にとってショパンはある意味で精神的な統合のよりどころとなっているのでしょう。コンクール会場に詰め掛けた人々にある種の熱気を感じるのはそれも一因かもしれない、と…。
私が音楽に安らぎを感じる理由は、もうひとつ。音楽がナショナリズムと無縁であることです。音楽が生まれる背景には、ショパンのような民族的な歴史がありますが、いったんそれが素晴らしい音楽に結晶したとき、誰もが自然にそれを愛でることができるのは、固有のものと普遍のものがその中で融合する妙味ゆえでしょう。
ナショナリズム的な色付けをメディアの報道は好みますが、そんなこととは別に素晴らしいものは誰にとっても素晴らしいものであることを芸術の世界は如実に示してくれます。誰が1位になろうともそれは審査員たちが選んだ好みの問題だ、というのは極論でしょうか? 第3ラウンドあたりでは、すでにコンクール参加者は、甲乙つけがたいほどの高いレベルで、自らの感性を思いのままに表現している、としか思えませんでした。
ファイナルが3日間繰り広げられて現在これを書いているのは2021年10月20日。日本時間21日深夜1時からその3日目が始まります。その結果を見る前にこの稿を終了させようと思います。
ワルシャワ空港も正式名称はワルシャワ・フレデリック・ショパン空港(WAW)です。連日流れる美しいピアノの音に、2015年8月に訪れたワルシャワを懐かしく思い出しています。
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