(1)から続く
2003年のSARSに話を戻します。メディアによると、2019年と同じく、野生動物を扱っている市場が調査されて閉鎖になりました。ちなみに中国の「農貿市場」とよばれるいわゆる市場では生きた鶏を売っているところもありますが基本的に生き物は売っていません。野生動物を好んで食する人たちが一定数いるので、そういう人向けのレストランなどが野生動物市場の顧客です。生き物であるゆえに、病原菌やウィルスを持っている危険と隣り合わせで、さらにそれが人間にも感染するように変異を遂げて起こった感染症の一種がコロナウィルスによる感染症だといわれています。
人間にSARSウィルスを媒介した動物が何であるか、調査があり、メディアではハクビシンがやり玉に挙がっていました。2005年、蝙蝠に由来するウィルスであることが確定されたそうですが、当時は推定の域から出ていませんでした。飛沫感染・接触感染以外、エアロゾルによる感染の可能性については、香港でおそらく排気ダクトからではないか、という感染例が見つかったことでずいぶん騒がれました。
SARSですでにエアロゾル感染が疑われていたことから、当然その2代目であるコロナウィルスCOVID-19も早くからその可能性が議論されなかったのかどうか、調べてみました。すると昨年7月6日に32ヶ国の科学者239人が公開書簡で空気感染の可能性が十分にあると指摘し、WHOに対し対策の立て直しを求めた、とのニュースが出てきました。その場合最も重要な対策は換気に尽きます。2003年大連での一般市民へのSARS対策は、すべて換気に集中していました。
日本では最近になってようやくエアロゾルによる感染の広がりに言及しはじめています。デルタ株の感染性の高さも関係して注目されていますが、経路不明の感染者が昨年中にもかなり高い確率で出ていることから、すでにエアロゾル感染は始まっていたのでは、と疑わざるを得ません。となれば、満員電車やバスも経路が確定されないだけで、感染する可能性が一気に広がります。クラスターにこだわれば不特定多数の人々がたえず集合離散している場所での感染は追えないことになります。いったい誰が空気感染の可能性を隠ぺいしていたのだろうか、と思えるほどの政策・対策の鈍さです。
さて、SARSに戻ります。最初が南方での感染例であったことから、私は大連で呑気に過ごしていましたが、2003年に入って、どうやら北京で感染が広がっているらしい、という噂が聞こえてきました。北京市では感染者を救急車にのせて移動させて、病院での調査を逃れた、とか噂が伝わってきました。最終的に北京市衛生部の隠ぺいがわかり、書記・市長を含む関係者が多数更迭されました。
代理市長になったのが現在の国家副主席である王岐山(Wang Qishan)、国務院SARS予防部総指揮すなわち国家の最高責任者になったのが呉儀(WuYi)です。SARS終息以前か以後か時期がはっきりしませんが、対策会議の様子がテレビで放映されました。中心に呉儀と王岐山が座って、救急車の台数や患者の人数をもとに呉儀が「難しい」と何度もつぶやいていたのが記憶に残っています。彼女が衛生部の欺瞞を暴いて感染情報は明らかになりました。

この時は今回のような都市封鎖でなく、感染者の出た建物をロックダウンして対処していました。テレビ画面に建物上階から籠が下ろされ、それに必要な品物が入れられてスルスルと上がっていく様子がテレビで放映されていました。大学での感染も広がって、北京師範大学の学長が涙ながらに保護者に「感染させて申し訳ない」と謝っていたのも印象深い光景でした。
9.6%という驚異的な致死率をもつSARS。大連において感染者が出るたびにメディアが伝えます。感染者そのものが少ないのでひとりずつ行動経路が詳しく伝えられますが、それによって排除されるような空気はありませんでした。むしろ気の毒に、という空気が濃厚でした。看護師が2,3名、十分気をつけていたにも関わらず患者から感染した時は、さすがにこの感染力に恐れを抱きました。この恐れは致死率が高いということに連動していました。彼女たちは回復して退院し、地域の新聞やテレビでニュースが流れ、花束が贈られました。
世界どこでもこういう時にトンデモ人間が出現しますが、大連でも中心病院にのりこんで、自分はSARSに罹っている、と宣言して周囲の人たちが四散する中、警察に拘束拘留されるという騒ぎもありました。感染者ではありませんでした。感染者の行動経路の調査で、サウナでは感染しないことも報道されました。極度の高温多湿ではウィルスは生き残れないとも言われました。
日本のSARS報道は欠かさず見ていました。ネットで知らされるのは中国全土での累計患者数です。毎日増大する数字に日本中で恐怖が煽られていき、現地での感覚と温度差がありすぎて違和感を覚えました。日本での感染がない中での煽りによって、私が計画していた大連でのイベントは中止になりました。500万人中15人程度の感染者は出ていました(確定的な数字は記憶にないのですが最終的に12名から15名の間でした)が、日本での報道では中国全土が恐怖の状態であるかのようでした。日本からの大連行きエアラインは大連在住者以外搭乗者が極端に少なくなり、一時帰国していたある在住者の話によれば、JALには9人しか乗っていなかった、とのこと。この煽りも3月20日にイラク戦争が始まり、話題がそちら方向に移りはじめて、皮肉なこと・奇妙なことにほっとしたのを思い出します。
私は一時帰国の時期をずらすことにしました。報道から判断すれば、うっかり帰るとバイ菌扱い(厳密にいうならばウィルス扱い)されかねない、と感じたからです。日本での論調は、感染した人への同情や気の毒といった視点ではなく、感染者への責任を問うような排除の空気に満ちていました。病を得た人はショックだろうし、感染に至る原因に関係なく、それだけで充分労わられるべきだと私は思います。なのにそれをさらに鞭打つ社会って想像するだに恐ろしいのですが、当時から日本のその空気は際立っていました。その危惧はそのころイラク戦争で人質になった人たちへの強烈なバッシング、感染者へのバッシングをはじめ、ことあるごとに噴き出す弱者へのバッシングとなって、いまに至っています。正直、こんな日本社会は一度死んじまえ!と思うことしばしばです。
私はこんな空気の支配する日本社会で平常心を保つために、日本に住んでいる外国人の視点でものを考えることに決めました。歴史に学ぶことができるかどうか、それが問われています。2003年のSARSはその致死率の高さゆえに自滅したのでしょう。その時に安心するのでなく、進化して自滅しない感染力の高いウィルスが出現した時に備えておくことが必要だったのです。それが今回のパンデミックへのアジアでの対応の違いとなって出ているのではないか、と。
昨年の流れから考えても、10月11月にいったんは落ち着くかもしれませんが、それは12月以降の本格的な冬の感染への準備期間(ウィルスにとっても人間にとっても)になり得ます。その間に医療体制をどれだけ整えられるかがカギになります。総選挙にかまけて医療体制の構築を怠ることのないよう祈るばかりです。

大連で知人の子供が2010年小学校に入学しました。最初に手の洗い方を習ってきました。私はその子供から本格的な手の洗い方を教えてもらいました。こういう形で感染症の教訓が普段の生活の中に入っているのがとても印象的でした。
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