現在、日本の首都圏から各地域に伝播する新型コロナ(COVID-19)デルタ株の感染爆発がまだ勢いを失わないまま、医療の危機的状況がつづいています。デルタ株の出現まで、私は2003年の大連でのSARS-COVID-1の体験もあったので、基本的に守るべきことを守ればあとは運次第、と思って平常心で過ごしていました。「新型コロナ(COVID-19)のせい」を「新型コロナのおかげ」に切り替えるべく新しいことに挑戦しました。しかし、デルタ株を中心とした第5波で、何かが質的に変わったように感じています。私は行動の不自由さを感じるようになりました。私は2003年大連で体験した最初のコロナ騒動のことを思い出していました。その時のメディアの報道や大連での人々の動きなど、記憶をたどりながら語りたいと思います。
中国広東省において、初期にはウィルスの特性も良くわからなかったため、患者経由で医療関係者がバタバタ感染しました。不思議な肺炎患者の増加から始まるこのウィルスにすみやかに気がつき、その対策に精魂込めた活動をした臨床医が「鐘南山」です。今回のCOVID-19でもその経験を生かして武漢での都市封鎖やコロナ専門病院建設にも大きな役割を果たしたと聞いています。当時の新聞やTVでもしばしばその名前が出ていて、私はいまでもすらすらとその名前を中国語の発音で言うことができます。
このSARS-COVID-1発症による肺炎は中国で「非典型性肺炎」、略して「非典」(feidian)と呼ばれていました。大連では、500万の人口に対し、感染者は15人ほどだったと記憶しています。やはり医療関係者が3分の1をしめていました。どちらかと言えば感染者の少ない地域だったのですが、その要因としては三方が海に面しているという開放的かつ空気の流動性の良い地形がプラスしたのではないか、と思っています。
日本では最近になって換気の重要性が強調され始めましたが、当時大連での感染予防対策は、もっぱら換気で、少し暖かくなるとバスは窓を開けっぱなしで走りますし、日の長くなる時期だったので夕方になると、市内の大きな広場は、仲間同士でバドミントンの羽のようなものを足のかかとで蹴りあう現代版蹴鞠のような遊び、ダンス、太極拳などを楽しむ人々で溢れました。大連は北緯39度です。京都から移り住んだ当初は、日の長くなる時期はいつまでも明るく思われました。いま思い出してもマスクをした記憶は全くありません。
Wikipediaを参照すると、SARS-COVID-1は、2002年11月中頃、広東省で最初の患者が発生し、2003年7月5日をもって感染が終息した、とされています。9ヶ月足らずでした。そのあとも散発的には発生したものの基本的には抑えられている状況です。感染者数は統計によって多少は異なるものの、WHOによれば全部で8096人、致死率は9.6%となっています。感染者の関係国は37ヶ国、うち中国本土・香港・シンガポール・台湾・カナダの感染者数が目立ちます。このSARS-COVID-1(以後SARSとのみ表記)の致死率の高さが、ウィルスそのものの弱点となって感染を食い止めた、と言われています。たしかにあっけない終わり方でした。
今回、SARSについてのWikiを見ていて、興味深いことがわかりました。この時期「WHOの西太平洋地区事務局の責任者として、押谷仁が陣頭指揮に当たった」という記述です。2020年、COVID-19に対する日本での初動対策にこの人が専門家会議の重要メンバーとして関係しています。この時の体験、恐らく氏にとっては「成功体験」が昨年春の初動対策に影響を与えているのではないか、と思えてきました。それほどにSARSは急に姿を消しました。昨年3月時点での専門家会議での方針に、今回のCOVID-19もすぐ治まる、とたかをくくっていたようにも感じるのです。
以下、昨年(2020年)3月22日に放送されたNHKの解説番組での当の押谷仁東北大教授の発言です。初期の検査抑制・感染力を軽視した対策は現在も尾をひいているように思われます。
日本のPCR検査について
「PCR検査の数が少ないので見逃している感染者が多数いるのではないかという指摘もありますが、本当に多数の感染者を見逃しているのであれば、日本でも必ず“オーバーシュート”が起きているはずです。現実に日本では“オーバーシュート”が起きていません。日本のPCR検査は、クラスターを見つけるためには十分な検査がなされていて、そのために日本では“オーバーシュート”が起きていない、と。
実はこのウイルスでは、80%の人は誰にも感染させていません。つまりすべての感染者を見つけなければいけない、というわけではないんです。クラスターさえ見つけられていれば、ある程度制御ができる。むしろすべての人がPCR検査を受けることになると、医療機関に多くの人が殺到して、そこで感染が広がってしまうという懸念があって、PCR検査を抑えていることが日本が踏みとどまっている大きな理由なんだ、というふうに考えられます。」(押谷仁教授)
「オーバーシュート」を起こさないためには?
「感染者、感染連鎖、クラスター、クラスター連鎖。このいずれも監視下に置くことができれば、流行は起こさないです。そういうことが、今の日本の戦略だということになります。」(押谷仁教授)
2003年のSARS対策は成功したのか、それともウィルス自体が自滅したのか、ということです。成功体験へのとらわれはしばしば新しい事態への対応を誤ります。日本政府は諮問機関や専門部会に肩書や地位で人選を行います。WHOで仕事をしていたことは肩書・地位ともに不足がないのでしょう。押谷仁氏の経歴を見ると研修1年だけで、感染症の研究家であっても臨床体験のない人です。そこは現在の分科会座長の尾身氏同様です。いわば行政官あるいは行政官的立場の研究者が医療面でのコロナ対応の中核になっていてこのままで良いのだろうか、という思いがつきまといます。
以下(2)に続く
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