選択的夫婦別姓制度について

社会問題

 今年6月23日、最高裁で民法750条夫婦同姓の規定が合憲であるかどうかの判決が出されました。以下は6月25日に出された日弁連の声明の一部です。

2021年6月23日、最高裁判所大法廷は、夫婦同姓を強制する民法750条及び戸籍法74条1号について憲法24条に違反するものではないと判断した。

民法750条は婚姻に際し夫婦が同姓となることを規定し、それを受けて戸籍法74条1号は婚姻届にその夫婦の姓を届け出ることを規定し、両規定の結果、夫婦が称する姓を定めない限り婚姻届が受理されない。本件は、夫婦別姓のままでの婚姻届の受理を命ずることを申し立てた家庭裁判所への不服申立ての特別抗告事件である。
(声明全文はhttps://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2021/210625.html)

 私としては、選べるのならばそれで良いのではないか、と選択的夫婦別姓制度歓迎の立場です。それに反対する人々がいること自体信じがたいのですが、内容よりもこのあたりのバックグラウンドに問題があるのでしょうか。選択的であっても、別姓なんてけしからん、という発想の人間がまだ幅を利かせているという背景に。

 この判決は、司法に判断をゆだねるのでなく、民法の改正に的を絞って、立法で行うべきなのではないか、と問いかけてるとも取れます。いずれにせよ、もう何年もこの問題で時間を空費している状況にじれったさを感じています。同姓を求められることに対する苛立ちも当然ながら、姓が変わることが他者に与える違和感についても無視できません。本人のアイデンティティーからだけ論じられることが多いのですが…。

 日本では基本的に他人の呼称は姓です。だから記憶の中での友人は「〇〇さん」と姓とセットになっています。外国では親しくなるとファーストネームで呼び合いますが、日本人でははじめのうち呼ばれるたびに子供時代に戻ったようなくすぐったい感覚になった人も多いのではないでしょうか。「〇〇さん」と姓で呼ぶとき、その人の見た目だけでなく声や雰囲気も同時にセットになって思い出されるわけです。それを思い知らされるのは同窓会です。「▽▽さん」と以前と異なった姓で呼ぶととたんにその人は雲散霧消してしまいます。私にとって姓は単なる符号や記号ではありません。

 私の年代では、姓が変わったら新しい姓を呼ばないと失礼だ、と思う男性が多く、それが礼儀だ、とわざわざ意識して善意から新しい姓を呼ぶことが多かったように思います。自身がほとんど変えることがないのですから、わからなかったのでしょう。同窓会では名札には新しい姓が書いてあり、その下には旧姓がカッコつきで添えてありました。

 さすがに私より3,4年下の学年の同窓会は、旧姓が名札に記されて新姓がカッコに入ることになったようです。こんな風に静かに意識が変化しつつあったのだな、といまにしてわかります。そして旧姓でお互いを呼び合って自然体で懐かしさを分かち合います。

 たかが姓されど姓です。中学生のとき、家族の中で一人だけ姓の違うという同級生がいました。家に遊びに行って知りました。社会人になったとき、家族の姓に変えたと聞きました。でも私の中では相変わらず中学時代のもとの姓の「Aさん」として記憶に刻み込まれています。

 国際結婚では夫婦は必ず別姓です。私自身がそうなので姓を変える必要はありませんでした。次にパートナーが日本国籍を取得するとき、私の姓・相手の姓・新たな姓の3択が提示されました。相手の姓にする気はさらさらなかったし、相手も日本でわざわざ外国籍を強調するような姓にしたくない、さらには新しい姓も検討したのですが、創意工夫したどの案もいかにもつくりものという不自然さから免れなくて、結局私の姓にしました。パートナーはなんでこんな不自然な制度を日本はとっているんだ、とぶーすか言っていました。選択的別姓制度があれば迷うことなく別姓にしたはずですし、1990年代半ば、この制度はすでに話題になっていましたから、法的に可能にあればすぐに別姓に戻せるはずでした。

 ですから私自身は姓を変えたことはありません。しかし結婚した時に、多くの人から姓がどうなったのか、と尋ねられて面食らったのも事実です。まだまだ結婚イコール姓が変わることというイメージが強かったのがわかります。姓を変えることがいかに大変であるか、はパートナーが日本で暮らしている間、私には実感としてわかりにくいままでした。

 その後、中国で暮らし始めたとき、パートナーの友人たちがこれを話題にすることが多くなりました。中国では結婚しても別姓のままです。ただ日本の法律がそうであることを説明すれば、仕方ないな、という反応でした。ただ中国では姓の種類が日本に比べると圧倒的に少ないので、基本的に姓も名前も一緒に呼び、親しくなると名前だけで呼ぶので、話題にはなってもそれっきりで、みな都合の良い呼び方をしていたようです。いつか選択的夫婦別姓制度に変わると信じてもいましたし…。

 2011年、離婚することになり、9月に日本に戻り届けを出しました。その時に初めて知ったことがありました。それは姓を戻すことについての決まりでした。私には当てはまりませんでしたが、姓を変えていた場合、期間が限られていますが、ひとつだけ遡って元の姓に変えることができるとのことでした。ということは再婚し再び離婚した場合、以前の姓をあらためないでいれば、戻せるのはその前に使っていた姓のみです。

 このことは知らない人のほうが多いかも、と思いつつも今更ながら、姓の問題の難しさを感じましたが、選択的夫婦別姓であれば、それぞれが判断して選べるのでそれで良いのではないでしょうか。でも、そういう自らの判断で物事を決めていく人間の存在そのものが、反対派には鬱陶しいのかもしれない、とハタと気がつきました。世間で言われるようになって25年がたちましたが、いっこうに変化の兆しが見えないままです。

 憲法云々よりも、こういう基本的人権(その人がその人として尊重される権利)にかかわることを地道にひとつひとつ変えていくことこそが重要なのでは、としきりに思われます。

 

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