はじめに
私が、幼児期を除いて中国で暮らしたのは2001年から2011年まででした。これからは、その間に出会ったさまざまな事柄を何度かに分けて、他の記事の合間に思いつくままに書き付けていきたい、と思います。
2001年からほとんどの期間を大連で暮らしました。上海は2004年6月から8月までの3か月間ですが、期間が短いものの中国の先頭を切って走っている上海の印象は強烈でした。
中国に滞在した期間は、中国そのものの猛烈な変化を肌で感じたときでしたが、それ以外、2001年の9・11事件、2003年のSARSからイラク戦争、2011年東日本大震災と福島原発事故、と名だたる大事件を中国で知った、というわけです。ネットで日本のメディアが垂れ流す情緒的な反応に辟易しながら、それらを距離を置いてみることができました。
日本に戻ったときにもっとも戸惑ったのは、省庁の名前が変わっていたこと、銀行の名前が変わっていたことでした。時折一時的に帰国していたものの、そういったことに関わりなく過ごしたので、特に銀行はどれがどれやらわからず、混乱しました。
4歳前まで過ごした北京の幼いときの記憶は、すべて断片的で、まとまりのないもので、それなのに、中国人のインテリと思われる人たちに出会った時のなんとも言えない懐かしい空気が、私にそのころを甘酸っぱく思い出させてくれるように感じます。地質調査所北京分所の職員宿舎で遊びまわって、周囲の大人が親切だった時の名残なのでしょう。三つ子の魂というのはほんとうにあるのだな、と思います。
それと対比するとき、2001年からの中国暮らしは、そのスケールにおいて時には度肝を抜かれ時には新鮮で、親が感じていた中国の魅力はこれだったのか、といまにして理解できました。
生活雑記は今後その具体的な折々のことどもを思い返しながらつづっていきたいと考えています。
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